ファッションモデルの知られざる歴史、時代を象徴するモデルの略歴などを
モデルマニアの私がモデルに関する雑学の集大成としてまとめています。
ポーリーナ・ポリスコワは、友人の写真家が彼女の写真を撮り、ニューヨークのエリート・モデルにその写真を送ったことがきっかけで、モデル業を始めることになりました。
エリート社長のジョン・カサブランカが、彼女をとても気に入ったのです。
容姿端麗で、背が180cmもあり、モデルとしての素養を充分に秘めていました。
ポーリーナは、パリでモデルとしての活動をスタートさせ、すぐにブレイクしました。
更に、1984年にスポーツ・イラストレイテッドのカバーを飾ったことで全米で人気が爆発、1984年と1985年の2年連続でSIカバーに起用されました。
1989年にはエスティ・ローダーと600万ドルで契約し、その後アメリカに移住しました。
アメリカではモデルを続けながら女優業やテレビ司会者の仕事もこなし、現在では作家として活動しています。
ポーリーナは、モデルという仕事に対して懐疑的な意見を頻繁に述べていました。
「ダイエットなんて信じない」「ゼロサイズのモデルじゃないと仕事が取れないなんてバカげている」と言い、自分にとってモデルという仕事は苦労しながらやったことではないと言っています。
また、モデルや女優業は、「作家になる途中でやってみた仕事に過ぎない」といいます。
スターモデルになりながら、自分の仕事に全く興味がなく過ごしていましたが、強い意思で自分の道を切り開いたことで、現在は心から楽しめる作家という仕事に励んでいるようです。