ファッションモデルの知られざる歴史、時代を象徴するモデルの略歴などを
モデルマニアの私がモデルに関する雑学の集大成としてまとめています。
ビヴァリー・ジョンソンは、黒人モデルの歴史を切り開いた、パイオニア的存在のカリスマモデルです。
ニューヨークタイムズ紙は、彼女を「20世紀にファッション産業で最も影響力を持った人々」の一人に選出しています。
ビヴァリーは、元々弁護士を目指していて、ノースイースタン大学で勉強していましたが、同時期にモデル業も始めました。
自ら「グラマー」誌のドアを叩き、モデルの仕事がないかどうかを尋ねたのです。
そこにいたグラマー誌のスタッフにすぐに認めれ、モデルとしてのキャリアがスタートしました。
彼女が最初に所属したエージェンシーは、「ブラック・ビューティー」という、黒人専門のモデル事務所です。
そしてそこから数カ月で、全米で最も有名なモデルになりました。
1974年に、アメリカン・ヴォーグのカバーに起用されましたが、これは黒人モデル初の快挙となりました。
その翌年には、黒人として初めて、フランス版エルのカバーにも選ばれています。
その傍らで実業家としての活動も始め、1979年には黒人のための化粧品をプロデュースして成功をおさめ、その後黒人のためのウィッグ専門店やヘアケア製品のプロデュースなども行いました。
元から頭が良く、ビジネスでも成功し、更に女優業にも進出しましたが、常に思いやりにあふれる人格を持ち続け、チャリティ活動で低階層の黒人への教育促進やエイズ撲滅の運動も行っています。