ファッションモデルの知られざる歴史、時代を象徴するモデルの略歴などを
モデルマニアの私がモデルに関する雑学の集大成としてまとめています。
幼い頃美人コンテストに優勝したことのあるドヴィマは、究極のエレガンスと美貌を兼ね備えたモデルでした。
本名は、ドロシー・ヴァージニア・マーガレット・ジュバ(Dorothy Virginia Margaret Juba)で、3つの名前の頭文字を取って、「ドヴィマ」になりました。
ニューヨークで生まれ育った彼女は、ヴォーグのエディターにより見出され、モデルを志すようになります。
デビュー後、すぐに売れっ子モデルになったといいます。
ドヴィマは自分の顔に自信を持っていませんでしたが、カメラマンから見ると、モデルとして、たぐい稀な素養の持ち主だったのです。
特にリチャード・アヴェドンは彼女をとても気に入り、後にパリで「ドヴィマと象」という有名な作品を世に送り出します。
ドヴィマは、アヴェドンのことを「彼と私の心は双子のようだわ」と語っています。
それくらいお互いがお互いにインスパイアされ、名コンビとして多くの写真を残したのです。
ドヴィマの収入は、ピーク時で年収3万ドルにもなっていました。
その後、急速に人気が衰え、映画出演にシフトしていきました。
しかし、モデル全盛期の時が人生の最高潮であったようで、人気が衰えた後、彼女の私生活も徐々に満たされないものに変わっていったようです。
消えていくようにファッション業界を去っていきましたが、現在でも「ドヴィマと象」などの写真は、多くの人々を魅了しています。