ファッションモデルの知られざる歴史、時代を象徴するモデルの略歴などを
モデルマニアの私がモデルに関する雑学の集大成としてまとめています。
パワーズがモデルのプロフィールを載せたカタログを出版し、それを多くのファッション関係者や企業が購入し、パワーズからモデルを選ぶようになりました。
パワーズのビジネスは大成功を収めたのです。
パワーズはモデル事務所を創設したのと同じ年に、モデルスクールも開校し、そこでは所属モデルたちのトレーニングを行いました。
この学校は後に、ジャッキー・ケネディ元大統領夫人、グレース・ケリー、エヴァ・ガードナー、ローレン・バコールなどを輩出します。
パワーズの仕事は海の向こうにもその噂が届き、フランスのデザイナー、ジャン・パトゥが、自身のファッションショーのために、わざわざアメリカまでモデルを探しにきました。
そして、アメリカ人モデルを起用したパトゥのコレクションも、大成功を収めたのです。
パトゥのショーに出演したモデルたちのギャラは跳ね上がりました。
当時は時給5ドルくらいが相場で、これでも当時の価値からするとかなり高額な給与でしたが、パトゥのモデルの収入は、2倍にも10倍にもなったといいます。
また、パトゥのモデルたちは、有名人やお金持ちとデートをするようになり、贈り物ももらうようになりました。
しかし、当時のモデルの概念は、まだ「長身のスレンダー美人」というものではなく、顧客のニーズもまちまちだったことから、パワーズには小柄でふくよかな女性も多くいたようです。